岐阜地方裁判所 昭和33年(レ)1号 判決 1960年10月24日
控訴人 太田利夫
被控訴人 伊藤道次
主文
原判決を次のとおり変更する。
控訴人は被控訴人に対し金三万円を支払え。
被控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じてこれを三分し、その一を控訴人の負担とし、その余は被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共に被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する」との判決を求めた。
被控訴代理人は、請求原因として
被控訴人は、昭和三十年七月五日自己の家屋建築工事資金調達のため、控訴人に対して株券番号「の八七二」「の一一五二ないし一一五七」「の一一五九ないし一一六一」なる高野精密工業株式会社発行株式百株券十枚の売却を委任し、同日これを控訴人に引渡した。しかるに控訴人は右委任にかゝる事務を履行しないので、本訴において右委任契約を解除し、右株券の返還を求める。かりに控訴人において右株券返還義務を履行しえないときは、被控訴人は右株券の現在における特価相当額一株金八十円の割合による合計金八万円の損害を受けたことになるから、同額の損害金の支払を求めると述べ、立証として甲第一号証、同第二、三号証の各一、二を提出し、原審証人小松周海、同馬淵章、同上田松次郎、同伊藤すゞ及び当審証人伊藤梅子の各証言並びに原審における被控訴本人尋問の結果を援用し、乙第一、二号証、同第三号証の一、二、同第四号証の成立を認め、その余の乙号各証は不知と述べた。
控訴代理人は、答弁として
被控訴人の主張事実のうち、控訴人が被控訴人主張の株券の引渡を受けたことを認め、その余の事実はいずれも否認する。控訴人は土建業者であつて、本件株券の引渡を受けるよりさき、訴外日本ゲルマニウム工業株式会社のために工事をなして、昭和三十年六月二十二日現在、同社に対して合計金百九十八万八千四百六十八円の未払工事残代金債権を有していたので、当時同社の監査役をしていた被控訴人から同日右株券を以つて右債務の一部金五万三千円の弁済に充てる趣旨の下に、その引渡を受けた。従つて、控訴人が右株券の引渡を受けたのは代物弁済に基くのであつて、被控訴人主張の如き委任契約なるものはもとより存在しない。かりに、そのような委任契約があつたとするも、控訴人は右の引渡を受けた日に、右株券を訴外大垣信用金庫を通じて他に売却し、その代金五万三千円を前記工事代金債務に充当して精算済みとなし、その旨被控訴人の了解を受けたから同日すでに委任契約は終了した。従つて解除は正当でなく、またそうでないとするも右の事情からして右株券を返還することは不可能であると述べ、立証として、乙第一、二号証、同第三号証の一、二、同第四ないし第七号証を提出し、原審及び当審における控訴本人尋問(当審第一、二回)の結果を援用し、甲第一号証の成立を認め、その余の甲号各証は不知と述べた。
なお、控訴代理人は当審第二回口頭弁論において、本件株券を控訴人が所持していることを認めると陳述し、その後同第七回口頭弁論において、右自白は真実に反しかつ錯誤に基くものであるから、これを撤回する旨申し立て、被控訴代理人は右撤回に対して異議を申し立てた。
理由
被控訴人が昭和三十年六、七月中に、株券番号「の八七二」「の一一五二ないし一一五七」「の一一五九ないし一一六一」なる高野精密工業株式会社発行株式百株券十枚を控訴人に引渡したことは当事者間に争いがない。
(1) 委任契約の成否並びにその内容
成立に争いのない甲第一号証、乙第一、二号証、同第三号証の一、二、同第四号証、当審における控訴本人尋問の結果(第二回)によつて真正に成立したと認められる乙第五ないし第七号証、原審証人小松周海の証言、原審及び当審における控訴人(当審第一、二回)並びに原審における被控訴人各本人尋問の結果(右各本人尋問の結果は後記措信しない部分を除く)を綜合すると、控訴人が代表取締役となつている土建業者訴外株式会社太田工務店は昭和二十九年二月十二日から同三十年六月二十二日までの間に、訴外日本ゲルマニウム工業株式会社のため、代金総額金八百八十八万八千八百二円に相当する工場、事務所等の移転、改造その他の工事を請負い施工し、右期間末において同社に対して合計金二百四十八万三千百六十八円の未払工事残代金債権を有していたこと、そこで控訴人は右太田工務店のために右残代金の弁済を受けるため、右期間末頃殆んど連日にわたつて前記日本ゲルマニウム工業の事務所に赴き、同社の監査役をしていた被控訴人に対して右残代金の支払につき厳重な催告をした結果、同年六月二十二日被控訴人は止むをえず本件株券を控訴人に交付し、同人をしてこれを他に売却または担保に差し入れて資金化させたうえ、右債務の一部弁済に充当させることを承諾したことが認められる。控訴人は本件株券は前記債務中金五万三千円の部分に対する代物弁済として引渡されたものである旨を主張するが、原審及び当審における控訴人本人尋問(当審第一、二回)の結果中その主張にそうが如き供述部分はたゞちに信用することができず、他に右主張の事実を確認するに足る証拠もない。また他方被控訴人は右の如くして被控訴人と控訴人間に成立した委任契約の趣旨は、被控訴人自身の資金調達のための単純な売却委託にあると主張し、前記工事代金債務の弁済に利用すべきことを否定しているけれども、本件株券を引渡すに至つた経緯が前述の如きものであるうえ、前示各証拠によれば被控訴人の方が却つて株式関係の事項に経験が豊かであるのに、ことさら経験の薄い控訴人にかゝる単純な趣旨で売却を依頼したものとは考えられないこと、前記工事代金の債務者は前記日本ゲルマニウム工業であつて、被控訴人自身は当時単に同社の一監査役にすぎなかつたけれども、同人は同社の会計業務の最終責任者でもあつたし、また同社は当時被控訴人の義兄たる訴外河本喜頼を代表取締役とし、実姉同伊藤梅子を取締役に加える等同族会社的人的構成を採つて発足したばかりであり、同社の財産的基礎は薄弱にして経営内容、業務内容等につき拡大宣伝によつて未知多数の者から自社株への投資を仰いでいて、そのため右河本は詐欺罪を理由に訴追せられているが如く経営上の合理性も有しなかつたこと、本件株券は被控訴人においてこれを控訴人に引渡す直前に訴外小松周海より日本ゲルマニウム工業株式会社発行株券との交換により被控訴人自身が取得したかの如くであるが、交換の対象となつた後者の株券は最終裏書人は架空の人物たる吉野幸雄なる名義を以つて表示されていたり、その他にも被控訴人名義の同社発行株券の多数が同社に対する投資媒介のため使用せられていること、本件株券は右会社の事務所に保管されていて同所において控訴人に引渡されたこと、本件株券は前主たる小松周海を最終裏書人として同人の白紙委任状付のもので、被控訴人自身の名義はないこと等の事実が認められ、かような事実からすると本件株券は被控訴人所有のものであるにしても実質的には右日本ゲルマニウム工業の負担する工事代金債務の弁済のために利用せらるべきものであつたと認めることができる。原審証人伊藤すゞ、当審証人伊藤梅子の各証言及び原審における被控訴本人尋問の結果中右認定に反する部分はこれを到底信用できず、他に右認定を妨げるような証拠はない。以上の事実に基いてみるならば昭和三十年六月二十二日に被控訴人と控訴人間に締結せられた契約は、被控訴人主張の如き内容のものではなく被控訴人を委任者、控訴人を受任者として前示認定の如く、本件株券を以つて売却または担保に差入れて資金化したうえ、前記日本ゲルマニウム工業が前記太田工務店に負担する債務の弁済に充当させる内容をあつた委任契約でもつたといわねばならない。
(2) 委任契約解除の成否
委任契約はその存続中は原則として無条件かつ時期の如何を問わず解除しうるものであるが、本件ではその解除の意思表示が果して右契約の存続中になされたか否かの点につき争いがあるので、以下にこの点の判断をする。先ず、本件委任契約解除の意思表示の時期についてみるに、被控訴人が右意思表示と認めうる陳述を明白になしたのは原審における昭和三十二年五月二日の口頭弁論期日であり、他方本件訴状には解除するとか、契約を終了せしめたとかいつた通常の用語例に従つた記載もないことが記録上明かであつて、他に解除の意思表示をした時を確認するに足る証拠もない。しかしながら解除の意思表示なるものはとくにこれを明示する用語を使用していなくとも、相手方に対して当該契約を無効もしくは終了せしめる旨の意思が看取できる程度に通告せられゝば足りるものというべきであるから、本件にあつては委任事務処理のために引渡された物の返還を求める旨の記載のある訴状が相手方に送達せられば、これによつて右の意思表示があつたものとみてよいのであるが、記録によれば右の趣旨の記載がある本件訴状が相手方たる控訴人に送達せられた日は昭和三十一年一月十七日であると認められるから、同日本件解除の意思表示があつたものといわねばならない。そこで当時未だ委任契約が終了せず存続していたかどうかをみるに、当審における控訴本人尋問(第二回)の結果、真正に成立したと認められる乙第六号証、原審証人馬淵章の証言、当審及び原審における控訴本人尋問(当審第一、二回)の結果によると、控訴人は昭和三十年六月二十二日に本件株券の引渡を受けるや、同日直ちにこれを大垣信用金庫に担保に差入れ、右金庫の評価に従つて金五万三千円を借り受け同日中に同金額の全部を前示太田工務店に弁済していること、しかしその後被控訴人や日本ゲルマニウム工業からは前示太田工務店に対する工事残代金の完済を受けず、また大垣信用金庫に対する借入金返済資金の提供も受けないまゝに右借受金の弁済期が到来したゝめ、同期日たる同年十二月二十一日止むをえず自己の出捐によつて本件株券を受け戻したこと、そして暫くこれを自己において保管しているうちに前記本訴提起による解除の意思表示に接したことが認められ、右認定に反する証拠もない。このような事実に基いて考えるに、およそ受任者は委託事務の処理にあたつては、委任契約の趣旨とするところに従い、かつその範囲内では一面自己の裁量によつて相当と認められる適宜な手段をとりうべき権限を有すると共に、他面能うかぎり委任者の利益に適するようにこれを遂行すべき義務をも負担するのであつて、かような義務遂行の方法(もとより委任終了後の残務履行の内容となるものとは異つている)が残存する以上は未だ委任契約は目的達成等による終了を来たさないというべきであるところ、控訴人が本件株券を以つて金五万三千円を借り受け、これを前記日本ゲルマニウム工業の負担する債務の弁済に充てたことは委任事務の遂行々為たることもちろんであるけれども、さらに右株券を受け戻したうえで、なお一層有利な条件で資金化する途があり、従つて前示工事代金債務の追加弁済に利用しうべきものであるならば、かゝる事務を処理することも本件委任契約上要求せられる義務であり、右義務が残存している間は未だ本件委任契約も終了するに至らず、従つてこの段階においてなされた右契約解除の意思表示は有効であり、右解除がなされたのは委任終了後である旨の控訴人の仮定主張は採用できない。
(3) 株券返還請求権の存否
前述の如く、被控訴人が昭和三十一年一月十七日なした本件委任契約解除の意思表示が正当であるから同日中に右契約が終了するに至つたものというべく、これによつて受任者たる被控訴人はほんらいの委任事務処理の義務を免れたけれども他方委任終了にもとずく残存事務の履行として本件株券の返還義務を負担するに至つたものといわねばならない。しかしながら、前示乙第七号証、原審及び当審における控訴本人尋問(当審第二回)の結果によると、右委任契約の終了後において控訴人は自己の金策に困つた末、昭和三十一年五月十九日頃本件株券のうち四枚を丸万証券株式会社に、同年十一月二十日頃残りの六枚を中部証券金融株式会社にそれぞれ売却譲渡し現にこれを所持せず、また売却売等より買い戻すことも極めて困難か、もしくは全く不可能となつてもはや前記返還義務を履行することが能わざるに至つたことが認められ、右認定に反するような証拠もない。
なお、右の点に関聯して被控訴人は控訴人が本件において、いつたん右株券を所持することを認めながらこれを撤回したことに対して異議を申し立てゝいるので、これに対する当裁判所の見解を示しておく。すなわち、控訴人が本件株券を所持する事実は契約解除の当時に未だ委任契約が履行されずして存続中であつてその解除も可能なこと、解除により株券返還義務が発生したこと、右義務の履行が可能であること等の要件を証明する事実となりうる意味においては、控訴人にとつて不利益な事実であるから従つてその事実を認める陳述はその限度で自白にあたる。しかし、所持の事実自体は被控訴人が主張するいずれの請求権についても直接に要件事実を構成するものではなく、単なる間接事実であるうえ記録によれば右事実の自白に先だち、被控訴人の側でその事実を主張したこともなく、また自白後その撤回前にこれを援用したこともないことが明らかであるから、右自白は相手方の援用なき間に撤回せられた先行自白であつて、かゝる撤回は無条件に許されるものと解すべきである。従つて控訴人側でかゝる撤回について、ことさら真実に反しかつ錯誤による旨の理由を付したのも何ら必要なきことであつて、控訴代理人の誤解に基くものであり、従つて他方被控訴人のこれに対する異議も正当でないのである。それ故、前記認定の結果に従い本件株券返還義務は履行不能となつたものというべく、被控訴人はもはや右株券自体の返還請求権は有しないといわねばならない。
(4) 損害賠償請求権の存否
右に述べたところから、控訴人は被控訴人に対して本件株券返還義務不履行にもとずく損害賠償責任を負担すべきことになる。そこでその損害額につき考えるに、なるほど控訴人においていつたん右株券の返還義務を負担するに至つたのに、その後に及んでその履行を不能ならしめた以上は、これを形式的にみると無条件に右返還義務が履行せられたのと同一の利益を権利者に保障する必要があるかの如くである。しかし委任終了による請求権をかく形式的に個別的な債権債務の関係とみて、その債権債務を従来の委任事務処理の経過と別個独立に切り離して観察することは、対人的信頼に基礎を置く継続的法律関係たる委任制度の根本趣旨に反するであろう。そして解除後において、解除の効果として生ずる委任者から受け取つた物の返還義務も委任の残存事務履行手段たる意味において本質的には委任契約に基くものであるが故に、右株券返還義務の履行不能は委任契約違反という観念に含まれるものと考えねばならない。従つて右返還義務の履行不能による損害額は委任契約違反による解除の場合に請求しうべき損害額と同一のものと解すべきであるが、それは民法第六百五十一条第一項、第六百五十二条、第六百二十条但書により請求しうべき損害額とも異るところはないのである。しかるところ委任契約の解除が原則として遡及的効力を有しないことからすれば解除権者の利益の保障は原状回復的効果による利益ではなく、解除の時の現在における委任事務処理の程度に応じて、委任者が契約を終了せしめた段階において取得しうべかりし利益によるべきであり、このことは委任により引渡した物の返還請求は例外的に原状回復的機能として説かれているのに、損害賠償請求についてはかゝる説明を聞かないことからも窺いうるところである。これを本件につきみるに、当審における控訴本人尋問の結果(第二回)によれば、控訴人は本件株券を金八万三千円で売却していることが認められるから、解除当時も特段の主張なきかぎり右同額の価値を有したものと認められ、そして右売却によつて前述の如く履行不能を生じたのであるが売却行為は解除の効力が生ずる以前においては、ほんらいの委任事務としてなしえた行為であり、また控訴人はこれより先き本件株券によつて正当に金五万三千円を前示工事残代金債務の弁済に充て以つて委任事務の大半を遂行していたから、委任者たる被控訴人がその後に解除をしたとするも、同人は株券が現存すれば右金五万三千円と前示大垣信用金庫に控訴人が支払つた利息、手数料と引き換えにのみ引渡を請求しうるにすぎないし、また本件におけるが如き事実関係にあればその差額たる三万円の返還を求めうる利益しか有しなかつたのである。これをより一層実質的にいうならば、被控訴人は本件株券から既に金五万三千円に相当する価値が流失し去つていたことを容認せざるをえない地位にある結果であり、また右の結論は訴訟経済の観点からすれば、右金八万三千円のうち被控訴人主張の金八万円の部分に対して、とくに前記金五万三千円の反対債権を以つて相殺の主張をしないかぎり反訴または別訴により反対給付を求めるよりほかなくなる、とする不便を除去する結果ともなるが、しかしむしろ右の結論は訴訟経済という技術的考慮ではなく損害額というものが元来喪失せられた実質的な利益の計数的表現にほかならないことに基くからであり、かつ委任契約関係の特殊性によつてさらに一層実質的考慮を必要とする結果である。以上に説示したところによれば、本件株券の引渡義務の履行不能により受任者たる控訴人が被控訴人に対して賠償すべき損害額は、前記解除後において右株券の価格が上昇したことの主張、立証なきかぎり、被控訴人が解除当時においても請求しえたであろう利益金三万円と同額のものというべきである。
なお、職権を以つて考えるに、本件損害金請求は株券引渡義務の履行不能を理由とするものであるが、その前提となる株券引渡請求とこの損害金請求との関係につき、被控訴人の請求の趣旨はたんに株券の返還が「不可能なときは」とあるのみで、必ずしも明白ではないけれども予備的申立として右損害金の支払を求めるものとみるべきである。しかるに原審判決は現在の請求と将来の代償的請求との関係と誤解したうえ第一項の請求を予備的請求双方について認容の趣旨の判決を下したのであるが、第一次の株券返還請求を認容する以上、予備的な損害金請求については判決しえないのであり、またこれをすれば被控訴人の申立の範囲を超えて判決したことになる。従つて原審判決はこの点で違法なものというほかない。
以上のとおりであるから、被控訴人の控訴人に対する本訴請求は前記損害金三万円の支払を求める限度において正当として認容すべく、その余の請求はいずれもこれを棄却すべきものであつて、これと結論を異にする範囲で原判決は不当であり、本件控訴は一部理由があるに帰し、なお原判決における前示違法な点は原判決全部を取消すべき事由とはならないと解するから、原判決を変更することに止め、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九十六条、第九十二条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 村本晃 小森武介 鶴見恒夫)